願興寺鐘楼の由来

願興寺鐘楼は引田町の城林寺廃寺のものであった

現香川県東かがわ市の(平成七年十二月二十八日発行の 引田町町史P586)によれば

明治新政府により発布された神仏分離令により廃寺となった 引田町の真珠院城林寺*の鐘楼が造田村是弘の願興寺へ解体移転され、現存していることが判明した。 と書かれている。

真珠院城林寺*とは

町史によると山号を亀宝山、院号を真珠院、真言宗虚空蔵院(與田寺)末寺であった。 廃寺となった寺は当時香川県下で六十一か寺を数えた。 引田では最も古く格式が高かった城林寺が該当した。

所在地は現在の引田川向、大松宅と東側八幡宮の手洗鉢までの範囲であった。

「讃岐国御領分中寺社知行寺号書抜」という庄屋覚書に 高 二十石 生駒親正新田 十石 其子一生が城林寺宛寄付したと書かれている。

合計三十石

問い合わせ先
施薬山悲田院 願興寺
香川県さぬき市造田是弘1248
電話:0879-52-3054
mail : sanukigankouji@yahoo.co.jp

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